松代テレビ局のロゴマーク
ロゴマークの形は「皆神山」、色は「松代焼」をモチーフとしています。
皆神山(みなかみやま)
皆神山は、長野県長野市松代にある、標高659メートルの溶岩ドームです。1965年から1971年にかけての松代群発地震は皆神山の直下で起り、地震活動に伴い約1m隆起しました。この地震は地下水脈の影響による岩盤の破壊と見られます。松代群発地震に伴い1967年に付近の重力分布調査が行われ、皆神山付近には低重力域があり、地下には、縦800m、横1500m、高さ200mのマグマ溜まりが起源と考えられる空洞の存在が推定されています。
人工的に作られた様な山容をしているため「太古に作られた世界最大のピラミッド」と言う説が起こり、一部で信仰の対象になっています。第二次世界大戦末期には日本の戦況が悪くなり松代が大本営・政府・皇室を含む首都移転の予定地となり、皆神山と周辺の山には多数の地下壕が掘られました。
山頂には現在、皆神神社が鎮座し、全国的にも珍しいクロサンショウウオの産卵池もあります。
松代焼(まつしろやき)
松代焼は、寛政の初め頃、唐津で修行を積んだ陶工・嘉平次が開窯し、藍甕を焼いたのが始まりです。文化13年に松代藩は、藩窯として松代焼を奨励しました。松代藩は嘉平次窯を買収するとともに、京都から陶工を招いた寺尾焼、信楽から陶工を招いた天王山焼、常滑から陶工を招いた荒神町焼、代官町焼などが生まれました。松代焼は生活陶器が中心でしたが、有田焼や瀬戸焼に押されて、大正末期〜昭和初期には全て廃窯となってしまいました。
現在の松代焼は、残されていた陶器の欠片と史料等を参考に昭和47年に復興されたものです。松代焼の特徴は青味を帯びた器肌と、豪快に流された青緑色の釉薬にあります。陶土に鉄分が含まれているため、青味を帯びています。また、緑色の釉薬は松代焼独特のもので、銅を混ぜることによって陶土と反応させ、独特の光沢が生まれます。
なお、江戸当時の呼び名は松代焼ではなく、廃窯後に京都の陶工である内島北郎が名付けたものです。